ゼッケン23
希望№可能ということで今シーズンから使っているのが№23。
俺様がアルファロメオファンになったきっかけがこの数字。
アルファロメオがF1に復帰したのが1979年、そして翌年からのゼッケンが№22と№23。
この当時F1の中継なんてものは皆無に等しく、情報誌もAUTOSPORTS誌くらいしか無かった(知らなかった)と思ふ。
AS誌も350円で月2回発行と今にしてみりゃ何でも無い金額だが、当時お子様だった俺様には途方もない金額だった訳ですよ。
そんな訳で買うのは月に1回のみだったのだが、翌月の次号を買うまでは意味の判らん言葉を考えながら何回も読み直した記憶がある。
そのAS誌の年間総集号(1500円もしやがる高級雑誌)の1979年のリザルトの中見つけたのが アルファロメオ177、179 ドライバー B・ジャコメリ V・ブランビラ の文字。
うぉぉぉブランビラ*注1が復帰してるじゃん!!
そして
ジャコメリ*注2って'78年のF2チャンピオンだべ?!
と何故か感動、そして別ページの'80仕様のアルファロメオ179の写真とドライバー名
№22 P・デパイエ *注3 №23 B・ジャコメリ
うぉぉぉカッコ良いぞぉぉぉぉぉ!!!!
つぅか今年はデパイエが乗ってるのかぁぁぁぁ!!!!
と再び感動。
その中でも丸ポチャな風貌からパンダと称され、エンジニアのカロル・キティ氏と並ぶ姿が親子パンダと呼ばれたB・ジャコメリに親近感を感じていた俺様の中ではアルファロメオ=№23ってのが定着しちまっただな。
ちなみに№23ってのは井出クンのゼッケンでも有ったわけだな。
注1 V・ブランビラ
イタリア人F1ドライバー、当時のアニメ「グランプリの鷹」で存在を知る。
'78のイタリアGPの事故で大怪我を被ったことまでは知っていた。
1年後のイタリアGPで復帰していたことを知り、俺様お子様ながらに感激
注2 B・ジャコメリ
'78年ヨーロッパF2チャンピオン、当時の人気漫画「サーキットの狼」及びタミヤの電動RCカー「マーチ782BMW」に拠り存在を知る。
'80最終戦 アメリカGPで生涯最初で最後のPPを獲得。
俺様お子様ながら感動
注3 P・デパイエ
当時お子様の憧れの1台だった「たいれるP34」のドライバー。
'80年よりアルファロメオに加入し、マシンを改良しアルファロメオの躍進(ってほどでもないが)に大きく貢献した。
しかしながら同年7月ホッケンハイムでのテスト走行中事故死してしまう。
俺様もお子様ながらショックを受ける
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